学会の沿革
日本臨床細胞学会は、臨床細胞学・細胞診断学の学術研究とその成果を実地臨床に応用することを推進する専門学会です。その起源を1961(昭和36)年に遡ります。
近代細胞診は1928年Papanicolaou博士により始められましたが、当初、子宮頸癌診断法としての有用性が認識され、1957年創設の国際婦人科細胞学会(International Academy of Gynecological Cytology, IAC)に呼応する形で、我が国に設立された日本婦人科細胞診談話会を起源としています。
その後、他科領域の進歩に合わせて、1961年にIACが「International Academy of Cytology」と改称されたのに従って、1962年(昭和37年)、我が国でも東京細胞診研究会などと合同して、日本臨床細胞学会と称するようになりました。
今では、その取り扱う学術内容は、婦人科領域、外科領域、内科領域、病理・病態領域、歯科領域など全ての領域の、特に癌の、細胞診断をカバーしています。特筆すべきは、がん検診の実施手段としての有用性で、子宮頸がん検診、子宮体がん検診、肺がん検診、乳がん検診に用いられています。なかでも、その長い歴史から、頸がん検診は子宮頸癌による死亡率の減少に多大な成果を挙げています。現在では、細胞形態診断ばかりでなく、癌化過程の遺伝子変異や癌遺伝子の異常発現に関する分子細胞学的研究、細胞の自動診断、遠隔医療の一環としてのテレサイトロジーなど、新しいテクノロジーの導入も本学会の学術活動です。
本学会の重要な活動目的として、細胞診専門職の養成と認定があります。細胞診断は細胞診専門(指導)医と細胞検査士の共同作業によってなされます。細胞診専門医資格は、本学会が指定する研修と学術研究の成果を挙げた医師(歯科医師)に専門医試験を課し、この合格者に付与されます。また、細胞検査士資格は、臨床検査技師であって、本学会が認可している大学あるいは細胞検査士養成機関で教育を受けた者などに、細胞検査士試験を課し、合格した者に与えられています。細胞診専門医の認定は昭和43(1968)年から、細胞検査士の認定は昭和44(1969)年から、の歴史を誇っています。また、これらの専門職には、国際免許の受験資格が付与されています。これらの制度により、我が国の細胞診断は、世界でも最も精度高く実施されていると云っても過言ではありません。
シンボルマーク(とくにその製作過程と、その意味する内容について)

ある一つの目的に向かって複数の人びとが協力して事を行う場合があります。その目的の実現のためには、何よりも心の接点が必要になり、そのためにしばしばシンボルマークが創作されます。
その意味で造られた本学会のマークはヘマトキシリン色素の原木の葉を図案化して造られました。昭和40年代後半に本学会の常任理事であった増淵一正先生(当時癌研究会付属病院 婦人科部長)に委嘱されて、本学会評議員であった山田 喬(当時国立がんセンター研究所、病理部室長)がこの図案を製作しました。

獨協医科大学名誉教授
山田 喬
そして、これが正式の学会のシンボルマークとして認知されたのは昭和48年(1973)であり、本学会が発足してから11年目です。学会誌各号の表紙に印刷されるようになったのは、学会誌13巻1号(1974)からです。このシンボルマークを造ってから現在まで38年を経ましたが、その間に本学会に関係あるすべての刊行物、学術集会記事そして記念品その他に、このシンボルマークは付記されてきました。
一般に学会のシンボルマークはその学会の活動内容を象徴する図案であり、学会のすべての会員に偏りなく関係があるものでなければならないので、このシンボルマークの図案を、細胞核を染めるヘマトキシリンの原材料であるヘマトキシロンの木に求めて描いたわけです。この図案ならば全会員に等しく関係があるからです。それを独創的に描いてみたものです。
しかし、この木は熱帯植物なので日本には育たず、日本国内の露地でこの木を直接見ることができません。そこで、種々検索した結果メキシコの有用植物図鑑内にこの木を発見し(図1)、それを基にしてその葉を描き、図案化しました(図2)。この図で最も工夫したのは3枚の葉の形をバランス良く描くことでした。


このマークを製作した後に、ヘマトキシロンの木が静岡県浜松市に在る浜松フラワーパークの熱帯植物温室内に生育していることを発見し、本学会誌(24、 25巻)に種々報告した
このシンボルマークと、図3に示すI.A.C.(International Academy of the Cytology)をはじめとする日本国内外の細胞に関係ある学会のシンボルマークと比較して見れば、この本学会の図案には和風の趣が理解できる思います。

「日本臨床細胞学会50年史」より(2012年6月発行)