日本臨床細胞学会シンボルマーク
―とくにその製作過程と,その意味する内容について―
ある一つの目的に向かって複数の人びとが協力して事を行う場合があります.その目的の実現のためには,何よりも心の接点が必要になり,そのためにしばしばシンボルマークが創作されます.
その意味で造られた本学会のマークはヘマトキシリン色素の原木の葉を図案化して造られました.昭和40年代後半に本学会の常任理事であった増淵一正先生(当時癌研究会付属病院 婦人科部長)に委嘱されて,本学会評議員であった山田 喬(当時国立がんセンター研究所,病理部室長)がこの図案を製作しました.
そして,これが正式の学会のシンボルマークとして認知されたのは昭和48年(1973)であり,本学会が発足してから11 年目です.学会誌各号の表紙に印刷されるようになったのは,学会誌13巻1号(1974)からです.このシンボルマークを造ってから現在まで38年を経ましたが,その間に本学会に関係あるすべての刊行物,学術集会記事そして記念品その他に,こ
のシンボルマークは付記されてきました.
一般に学会のシンボルマークはその学会の活動内容を象徴する図案であり,学会のすべての会員に偏りなく関係があるものでなければならないので,このシンボルマークの図案を,細胞核を染めるヘマトキシリンの原材料であるヘマトキシロンの木に求めて描いたわけです.この図案ならば全会員に等しく関係があるからです.それを独創的に描いてみたものです.
しかし,この木は熱帯植物なので日本には育たず,日本国内の露地でこの木を直接見ることができません.そこで,種々検索した結果メキシコの有用植物図鑑内にこの木を発見し(図1),それを基にしてその葉を描き,図案化しました(図2).この図で最も工夫したのは3枚の葉の形をバランス良く描くことでした.
このシンボルマークと,図3に示すI.A.C.(International Academy of the Cytology)をはじめとする日本国内外の細胞に関係ある学会のシンボルマークと比較して見れば,この本学会の図案には和風の趣が理解できる思います.
「日本臨床細胞学会50年史」より(2012年6月発行)