細胞診専門医会の沿革
細胞診専門医会監事 蔵本博行
それまで東京などで個別になされていた研究会が統合されて、日本婦人科細胞学会(石川正臣・会長)が設立されたのは、昭和36(1961)年のことです。
子宮頸癌の発見に細胞診の有用性が認識され始めた黎明期の頃でした。翌年には、婦人科にこだわることなく広く細胞診断学を研究する学会との趣旨からでしょう、現在の名称である日本臨床細胞学会と改称されています。
昭和40 年には、早くも細胞検査士を養成し認定するための「技術員養成委員会」(水野潤二・委員長)が設けられ、昭和43 年に細胞診指導医、細胞検査士制度が発足しています。同年中に第1回の指導医65 名が認定され、翌年には、これら指導医による細胞検査士認定が行われ,8名が資格を得ています.臨床細胞学の発展ばかりでなく、高いレベルの専門職を養成し国民に提供しようとする学会の趣旨であったでしょう。
昨年までに認定された細胞診指導医は2,366 名を数えます。近年、医学の各領域で専門医が輩出していますが、日臨細胞学会では40 年近く前にこれを実行していたことになります.
細胞診指導医の誕生とともに、昭和43(1968)年秋には第1回指導医会が開かれ、天神美夫先生が代表幹事に就任されています。昭和53(1978)年には代表幹事から指導医会会長に名称が変更されました。
昭和55(1980)には野田起一郎先生が第2代会長を務られ、以来、栗原操寿、信田重光、杉森 甫、野澤志朗、長谷川寿彦の各先生へと引き継がれて発展を重ねてきました。
今では平井康夫・現会長の下で、指導医会会員数2,110 名の大所帯となっています。
歴史を重ねてきた細胞診指導医制にあって、先ず特筆すべきは、昭和58 年に制定された老人保健法の保健事業の下で実施される細胞診断は「細胞検査士と細胞診指導医の共同作業で実施する」と明記されたことです。
これによって、細胞診指導医の社会性が認知されると共に、責任を負う立場となりました。
歴史的に、日本臨床細胞学会は臨床細胞学研究の交流の場であるばかりでなく、指導医養成のための細胞診断学セミナーや細胞検査士養成講習会始め、各種のセミナーやワークショップの開催、細胞診専門職の資格認定試験や資格更新など各種事業を行って来ており、これらの実務は細胞診指導医会が執り行ってきました。
ところが、これらの事業は収益事業であるところから、本来、学問を追及する学会で執り行うには、納税の義務などから少々無理があることが分かってきました。
そこで、平成元(1989)年に細胞診指導医会と細胞検査士会は学会所属から離れて、両者から構成する日本細胞診断学協会(初代理事長・天神美夫先生)が設立されました。
平成8年には日本細胞診断学推進協会の呼称となり、現在に至っています。
学会員の中で,細胞診指導医と検査士の資格を有するものは本協会の会員となり、学会から委託された教育・資格付与業務を継承しているのはご存じの通りです。
また、本協会は両専門職の精度向上と社会性を発揮する職能団体といえます。
平成14 年に日本臨床細胞学会は大きな節目を迎えました。
3月に厚生労働省から「医療に関する広告規制の緩和」が公示されたからです。
この表現からでは分かりにくいですが、一定の基準を満たせば、各学会で認定する医師専門職を社会に公表して良いとするものです。
長い歴史を有する細胞診指導医と云う専門職を社会に一層認めてもらう絶好の機会と思われました。しかし、認知されるには、超えなければならない高いハードルがありました。
それは、①正会員のうち医師会員数が80%以上であること、②学会が法人化していること、でした。
そこで、学会では素早く対応するため、専門医制度・学会機構検討協議会(会長・蔵本博行)を立ち上げ、12 月には「本学会の方針」を答申しました。
これに基づき、平成15(2003)年1月に特定非営利活動法人の設立総会を持ち、3月に東京都に設立認証を申請、7月に法人認証を受けることができました。
この間、新しい学会定款の制定ならびに数多い定款細則の改訂が短期間で成し遂げられ、これに基づく理事・評議員の任期の移行が混乱無く推移できたのは、学会員の一致団結の賜物です。
法人資格を得て、同7 月には厚生労働省に専門医資格認定団体に関わる届け出を行い、12 月には厚労省から細胞診専門医の社会への広告を認可されました。数多い医学会の中で、比較的早い27 番目の認可でした。
この時点で、長い歴史のある「細胞診指導医」の名称は、国に合わせる形で「細胞診専門医」となったのです。
そのため、本会も「細胞診専門医・指導医会」への名称変更を経て、最終的に平成18(2006)年に「細胞診専門医会」となりました。
平成17 年4 月の厚労省老健課長による「がん予防重点健康教育及びがん検診実施のための指針の一部改正」通達にも、上記した細胞診断担当医として「細胞診指導医」に代って「細胞診専門医」名が使われています。
ついでながら、これらの一連の改革は平成17 年に本学会が日本医学会にも加盟を許される礎となりました。
このように、細胞診専門医会は多くの優れた先達により育まれ、今日の発展に至っています。これからも、細胞診専門医会が細胞診断を通して我が国市民に最適な医療を提供することに、また更なる細胞診断の精度向上に、大きな社会的責任を背負っていることを自覚したいものです。
(平成18 年11 月11 日・記)
1961年 | 日本婦人科細胞学会設立 |
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1962年 | 日本臨床細胞学会発 |
1968年 | 細胞診指導医制度発足 第1回指導医65名認定 第1回指導医会開催 |
1989年 | 日本臨床細胞学会から離れ日本細胞診断学協会所属 |
2003年 | 「細胞診指導医」の呼称が「細胞診専門医」に変更 |
2006年 | 当会名称が「細胞診専門医会」に変更 |
2013年 | 日本臨床細胞学会公益社団法人化に伴い、日本臨床細胞学会所属に復帰 |
2016年 | 認定細胞診専門医:実数2831名(認定:細胞診専門医3325名、細胞診専門歯科医45名) |